英語継続1ヶ月の感想

モバイル翻訳機が近く流行するであろう昨今、英語をやる必要はあるのか、という疑念は常にある。
ただ、実務において話す・聞くに困っているのも事実、それはそう。

新年から一念発起して続けられた理由は、英語は筋トレであると「諦め」がついたから。新年という時期も良かった。
「諦め」とわざわざ書いたのはこれが本当に大事で、自分が英語で手に入れたい能力、つまり外人とのコミュニケーションをするには、諦めて英語をやるしかなかった。

英語をやるといっても人それぞれイメージが違うと思うが、自分の場合は外人の話す、恨めしいほどネイティブで意味不明に速い英語のリスニングと、論理建てて話すスピーキングを鍛えることを指している。
当外人達の英語は、単語を補完した、推測に頼ったリスニングでは太刀打ちができない。
相手の発言を聞いて、文法に則って理解し、文法に則って発話する必要がある。これが腑に落ちた人はすぐに諦めがつく。
インテリが受験の延長としてやりがちな、語彙を増やす、英文多読では能力の向上は見込めない。音によるに完璧な英文の理解と、発声による文法の理解が不可欠である。

この聴覚、発声を利用した英文理解は、頭脳的労働というよりは肉体的労働である。試しに中学生レベルの文章をシャドーイングしてみるとわかるが、目で見てわかる文章がとてもじゃないが完璧に発声できない。
こうした脳の理解と、体の不一致は、文法や読解に特化したインテリがまさに感じることだと思う。読めても、喋れない、理解できない、こうしたアンバランスは肉体的労働、つまりは筋トレが足りないのである。
短期間でボディービルダーになれる方法がないのと同じように、短期間で英語の筋力はつかない。

英語をやりたいやりたくないではなく、筋トレだと諦めて粛々と続ける。これが本道だと感じる。

どうせそのうちイヤホンタイプの翻訳機が流行ってくるし、英語なんてやらなくていいよ本当に。
そういえばこの筋トレ理論、プログラミングにも通じるよなあ。